Create in the soft, comfortable ComfyCush Era.

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アーティストのジェフ・マクフェトリッジとのインタビュー。
クリエイティビティや心地よさに関して語っていただきました。

「自由に創造する」ことはあなたにとってなんですか?

僕は10代のころからアートを作ってばかりいた。だから僕にとって、「自由な発想」であるために大事なのは「変化」し続けられる事。
興味の赴くままに行動したり、クリエイティブであるための新しい手法を開発したり、そういったことを自分の思うままにできることが僕にとってとても大事なことです。
つまり次に何をするのか、全ては自分次第で変えられるって事。

今までは常に創造的自由があったと思いますか?

今の方がより自由になっていると思う。
小さなころはどんなに「自由な発想」が生まれても、それをどうしてよいかわからないでしょ?
僕の場合は何かベースとなるようなものが必要で、机の前に座る時には、自分が何をすべきなのか少しでも判っていたかったんだ。
今は前よりも選択肢があって楽だよね、というかむしろ選択肢がありすぎるくらいだけど。
選択肢が沢山あることは難しいことでもあるけれど、10代のころは「ここをもう少し狭くしたいな。でも何を?あれ、どんなものが作りたいんだっけ?」みたいな感じでよくわかっていなかった。とにかく試行錯誤していたんだ。
今では僕は思ったように実行することも、ものを作ることもできるし、みんなはそれを好きに見ることができる。
そういったことが「自由」と言えるんじゃないかな。

「クリエイティビティとは
物理的であり、
精神的な
プロセスでもある」

クリエイティブのプロセスに関して少し教えてもらえますか?

どれもまったく同じプロセスではないけれど、だいたいノートから始まることが多いかな。メモ帳だとか、スケッチブックだとか。文字を書いたり、絵を使ってみたり、小さなスケッチをしてみたり、何もない状態からスタートする感じ。
でそこから、「じゃあもう少しシンプルなものを描こうかな」とか、「蜘蛛の巣の絵を描く代わりに字で『蜘蛛の巣』って書いてみようかな」となって、「蜘蛛の・・・網・・・漁網」みたいな感じ。わかるかな?
「網は円、いや同心円だ。同心円って罠みたいだな。罠は何かを入れることができる。入れることができる、箱。網は箱のようなものなんだ。」となる。
何かを書いた方がいい時もあるし、言葉の意味がよりクリアになって、どんどん連想できることもある。
僕が思うコツはアイデアや考えの中に没頭することで、そうなることによってある種の「ゾーン」に入るんだ。「もうこれを説明するには、蜘蛛の巣が男の生首が入った箱に溶ける絵を描くしかない」ってね。
「これは網が誰かの思想を捕まえているんだな」みたいにね。

僕にとってこれは自分がやっていることを見失わないためのプロセスでもあるんだ。
「あ、引っ張られてるな」と思ったとしても、スケッチがあり、思考の足跡も残っている、だから元に戻ることができる。そして少し落ち着いてページを見返してみるんだ。いいものばかりではない、というかほとんどは面白いものでもないけれど、僕の仕事はこういったつまらないアイデアや大事ではないものをひとつひとつ取り除くことなんだ。
何か良いものを作ろうとするのではなく、悪い、というか説得力がないものや、つまらないものを取り除いていく。そうして残ったものが重要なんだ。
こうやって残った重要なものに対して「で、これは描くべきものなのか?これはパソコンで作れるものなのか?パソコンで作って印刷してトレースすればいいんじゃないか?」と方法を考える。
絵の世界から出た僕は「これを表現するにはどうしたらいいだろう?」とか「これは絵画を絵画でなくするために非常に効果的だ」とか、とても機械的になる。僕はこれを「機械的な創造」って呼んだりしている。絵を描くこととは全く違うけれど、絵を描くことの先に行くにはとても効果的なことなんだ。

絵を描くときは立っているんですか?

どちらもあるね。

どちらも?

うん、だいたいは立っていることが多いけれど、それは意識的にそうしているんだ。スタジオにあったあの絵に仕上げをしようとして初めて台に乗せたときも、僕は意識的にだよ。
Comfy Cushの絵を描いた時も、最初に思ったのは「この紙はすごく重いな。壁にかける時どうしよう?」だった。僕は前にも墨汁を使ったことがあって、それは垂れてどうしようもなかった。実際最初にやったのは垂れてしまった。だから床に置いたまま描いたんだけどそれらはインスピレーションを与えてくれた。それぞれの絵はスペースが必要だったんだけれど、僕はその上に立って描いて、描いた後もそのままそこに置いていたから、スタジオの床のスペースが無くなってしまったよ。
みんなは「完璧主義なんですか?」とか聞いてくるんだけど、僕は「だったら何?」って思うんだ。小さい絵をスキャンして拡大したのとは違う、実際に絵の上に立ってまで描いた時のディテールに興味があって、でも片方がより完璧だということにはならないと思っている。
小さいものを投影して描けば確かに完璧かもしれないけどそれは完璧じゃない。なぜならなんか変だから(笑)綺麗すぎるんだ。それは僕にとっては完璧じゃない。特有のディテールは大好きだけれど、ディテールが好きになるのは本質に近づけたと感じた時なんだ。

アイコンであるEraが更なる履き心地のためによりソフトなソールに再設計されました。

心地悪さと言うのはとても重要で、自分自身の居心地が悪くなった時にそこから動くのはとても気持ちがいいものです。時には居心地が良すぎると仕事に支障が出る時もありませんか?

心地よさはクリエイティビティに対する報酬じゃないかな?心地よさは過程ではなく、過程は心地悪いものだと思う。
心地よさは挑戦を受け入れたことに対する報酬で、もしいつも心地よかったとしたらなんだか胡散臭いと思う。めちゃくちゃ怪しいね。「君のスタジオはいつもきれいで整理整頓されているね」とか言われているようなもの。
それか、もし仕事がとても厳しくてやりたくないときに「ああ厳しいな」と言ってしまうと全てが厳しくなってしまう。そのバランスだと思うんだ。心地よさはバランスのようなもの。心地よくできるプロセスを心地悪くしてはダメだけれど、心地悪いプロセスはその一部になることが大事だと思う。週末も作業をしていて、何をすべきか判っている時とかに「これを一生やってられないかな?これを仕事にできないかな?」って思うときの気持ちが僕にはすごくよくわかるんだ。

スタジオでは気が散るようなことは歓迎されますか?もしくは締め出しますか?

僕はスタジオにふらっと人が来て、何かが起こっているのが好きで、時がたつにつれ孤独でいることをあきらめてしまったんだ。昔はただスタジオに入って、他にはスタッフもいないし、誰もスタジオには来なかった。それでよかったんだけどいつしかそれが居心地が悪くなってしまった。
気が散るようなことがあるともちろん大変にはなるんだけど、それは親になった時に「ちょっと待てよ。僕の時間は有限だ。一日数時間しか僕にはないのに、その間にやりたいことは他にもあるんだ」と気づくこととか、旅行に行くこととか、家族と一緒にいることとか、そういったことをしているのと同じことなんだ。
クリエイティブな活動には邪魔になるけれどもこういった邪魔が本当に大事なんだよ。あと、友達が来て、くつろいでくれる事は僕にとっても嬉しいことだしね。
飛行機に乗っている時も僕はよく絵を描いていて、その時に肩越しに描いているものを見られたり、邪魔をされたり、めちゃくちゃ混んでたりしていてもそれは別にいいんだ。「これはトレーニングなんだ。これでいいんだ」ってね。「何をやってるんだ?」って誰かに聞かれながら仕事ができるなら、だけどね。

Geoff McFetride is an artist that lives and works in Los Angeles. His work can be seen in galleries all over the world.